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大学院生のメモ置き場。ふぇみ的な書き散らしなど。

一緒に戸惑う『社会運動の戸惑い』

 

読みました。

 

 

お友達におすすめされて読んだのですが、一緒に戸惑ってしまうという。

つまり私は、大学生になってから既存のフェミニズム運動とのかかわりを持ち、活動をするようになったのですが、この本で指摘されているようなゼロ年代フェミニズムの反省点を良く知らないまま合流し、図らずも加担していたのではないか、という気持ちになりました。

一緒に戸惑う。

 

 

やはり何が過去においてあったのかを良く知らないでやるのは、「だって私はあのとき大学二年生だったもの」という言い訳を招くのでよくないなぁと思いつつ、一方で「安全な」お勉強に留まるのもよくない。権力批判の目線、体制批判の姿勢、フェミニズムは学ぶものではなくて実践するものだということ。

 

 

特に興味深かったのは三章と六章。

 

 

 

三章は「千葉県に男女共同参画条例がない理由」

 

千葉には男女共同参画条例がないのは知っていて、「バックラッシュでつぶれたんでしょ~~」と思っていたけど、詳細は知らなかった(知ろうともしなかった)ので、そんなんで千葉のヤンキーは名乗れないな...と反省しました。

私の認知には、もうすでに(フェミニスト歴3年にして)「バックラッシュ派」とひとくくりにして、それらを「日本会議」と同一視し、「大量の中央からの動員」によって「悪者が千葉の男女共同参画条例を葬った」という認知ができていたのです。

実際には、千葉の条例は、保守分裂を引き起こし、保守側にとっても苦い思い出となっていることが詳細に検討されています。

対案が自民党案として出されるも、それすらも成立しなかった背景には保守分裂があったと。(そこに第二章で述べられている日本時事評論が関わってくる)

 

 

そもそも地元の歴史を知らないというか、そういう詰めの甘さを認識したのが我が地元千葉県では、ただ男女共同参画条例がないだけではなく、「日本一の男女共同参画条例を作る!」という動きがあり、しかもフェミニストが知事だったことがあるということすら知らなかった。

私が政治に興味を持ったのは、小学校6年生の時。嵐ファンになって櫻井翔が中継する2009年夏の衆議院総選挙(そう民主党への政権交代が起きたあの選挙)を見た時でした。

2009年は堂本暁子氏が県知事選への不出馬を表明して、自民党推薦の現職森田健作氏が知事になった年。そうです私の千葉の知事のイメージは森田健作しかないのです。

 

 

あの県庁舎の周りに宣伝カーが来てやんややんややっているなんて、どんな景色だろう...?いとも簡単に歴史は忘れ去られ、そしてきっと繰り返してしまうのでしょう。

 

 

 

 

第六章は「箱モノ設置主義と男女共同参画」と題しヌエックをめぐる行政について書かれています。

ヌエックとは国立女性教育会館のこと。

(NWEC・ヌエック)男女共同参画の推進機関 |国立女性教育会館

 

実は私は過去に二回ほどヌエックに赴き、「若者」「ユース」という位置づけで自分の活動を話した経験があり、ヌエックで行われている事業は他人ごとではない...ということでガン読みしました。

 

死ぬほど暇ならぜひ行ってほしいんですが、クソ遠いです。

 

「しゅんDちゃん、お話してくれなーい?」と言われると「はい~♡」と返事をしてしまうのですが、いつも当日の朝後悔するほど遠い。私がオタ活以外であんな遠くまで行くのはヌエックぐらいです。

 

が、しかしアホ立派なのです。とにかく立派。

で、今日まで「きっとこれは過去のフェミニストたちが運動の末に手に入れた努力の結晶みたいな建物なんだわ....すごいわ....感動しちゃうわ...」と勝手に思い込んでいたのですが、全然そうじゃなくて、お役所の予算ゲットと、むしろ草の根団体の管理と囲い込みのための「箱モノ」という出自を持つことを知り......よく調べもせずに盛り上がってごめんな!と何かに謝りました(何に?)

 

実際にあそこには日本中の男女共同参画センターの職員や教員が集まり、そういう人たちは都内でフツーに活動していたら会えないので、結構おもしろくて行っちゃうんですが....。ん~~~そんなに役員報酬出てるんか~~い!!!

 

 

 

この本は、全体的に行政フェミニズム、その中央集権的な、また権力的な、啓発的な在り方に賛同したフェミニストを批判的に検証し、その視点から「バックラッシュ」の中身を明らかにしようとするとてもいい本です。勉強になりました。

 

私は「大学」という権威と組んで、実際に活動をすることが多く、「啓発」という言葉をよく耳にする環境や不透明な動きの中で漸進的な改革を具体的な人間関係の中でやっています。それは非関係者からみればまさしく行政フェミニズムのように中身が見えなかったり、ざっくりとしたキャッチコピーを掲げるだけで中身を伴わなかったり、「フェミニストの乗っ取り」に見える構図を繰り返していなかっただろうか?と自問しながら読みました。

条例という足場を作れば、箱モノを作れば、巻き返されないはずだ!という思い。

「あいつらはわかっていない」という態度。

そういうのはないとは言い切れないんじゃないか。

 

 

かつて学生運動にはダメなところもたくさんあったけど、大学当局を「権威」とみなし批判する姿勢は、忘れちゃ絶対だめだと思いました。

 

 

バックラッシュとか、自分たちが子供のころのフェミ界隈に何が起こっていたのかなんとなく知りたい人はぜひ読んでください。