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大学院生のメモ置き場。ふぇみ的な書き散らしなど。

トウダイという化け物?『彼女は頭が悪いから』

 

ずっと読みたかったが読まずにいた本を読んだ。

 

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

 

 

 

現在、性暴力の予防に関わり、そして過去には性感染症の予防啓発のためにコンドームを学内で配布していたところ「あいつらはスーフリだ」と指さされた私であるが、読まずになんとなく生活してきた。もしかしたら小説ということもあり、学術書よりも後回しにしていたところがあったかもしれない。

 

しかし、このインタビューで著者が述べるようにフィクションとは往々にしてまざまざとリアルを見せつけてくるものである....という至ってよくある感想を述べることになる。

books.bunshun.jp

 

 

性暴力が、社会構造や日常の差別の連続体の中で起きることが、淡々と加害者となる5人の生活を追うことで見えてくる。大きなもので言えば、ダージリンというサークルを出禁になった出来事。あの意味を理解できないまま話が進んでいく。あるいは、コンドームを使わないで性交を行ったのであろうことも「顔がきれいな」女性との別れ話の中で明かされている。客体化され、性欲の解消の先となる女性の表象。母親の家内労働の不可視化。

どれもこれも見おぼえのある差別。暴力。

その延長線に、5人の加害者の行動がある。

 

「トウダイセイ」という異質な存在、異様な化け物が犯す、馬鹿高いプライドの産物と「女子大」の学生との事件だと捉えてはいけない。化け物の影はそこら中にある。そしてその影を見ると、触れるとなんとなくそれを感じることはできるが、私はその差別を笑って見過ごしたり困ったように微笑んでいなす術をすでに身に着けていて、自分自身が傷つかないためにそれを無意識に行使する。

美咲が寝たふりをしたり、一生懸命お酒を飲んだりしたように。「どうせ」と唱えながら。それがその場を乗り切る策と信じて。

 

 

私はトウダイセイではない。

見事、第二志望のワセダに転がりこみ、駒場の門をくぐることが叶わなかったオンナである。性差別についてはなにかと評判の悪いトウダイであるので、あ~トウダイじゃなくて結果オーライかもな...と思うときもないではない。無論、美咲ならどっちだろうと「すご~い」の対象であろう。私が生きてきた世界はつばさの方に近い。つばさの感覚として、トウダイは違う、スーフリみたいな法は犯さないとつぶやく場面があるが、つばさの感覚でワセダをやっているのでその辺の「差」はわかる。ソウケイなんかとは違う。が、そんな私はたくさんの「トウダイ」を知っている気がする。この小説には見たことあるような景色と経験したことあった気がする痛みがチクチクとたくさん詰まっていて、うんうん唸りながら読むほかはない。私は美咲ではない。でも美咲だったかもしれないし、優香だったかもしれないし、、、、。

近所の人はトウダイやケイオーの性暴力の事件があるたびに、ワセダじゃなくてよかったわね、と私に言ってくる。どういう意味なのかよくわからない。そしてだいたい続けて「でも気を付けてね」と言う。これも謎だ。

大学の名前なんか関係ない。そこら中に私が落ちていたかもしれない穴がある。どう考えても穴を掘って暴力を振るおうって方が悪いのに、私は「気を付けてね」と言われる。もう嫌というほど気を付けている。

 

 

日常の中にある暴力。

 

 

 

もう一つ。あ、っと思ったのが、作中ちょくちょく「という『キャラ』だと認識したとつばさは裁判で証言する」というのが挟まれる。裁判で、美咲の過去の行動が問われていることを暗示する。

小説は時系列で進み、読者は美咲がどんな経歴を有するかを知った状態で暴行の場面にたどりつく。

でも、裁判でそれが問われる必要はあるのか?

暴行が日常の差別と連続体であることに触れたけど、しんどい頭で読み進めていくとこの物語の中の事件の流れが頭に入る。そして裁判も終わる。最後に校長先生が放った言葉がなんだったのか明らかになったときに、改めて殴られたような衝撃を受ける。

おそらく読者も、そして作中のママも、その言葉を予期していなかったからこそそこで、飲み会の流れではなく切り取られた行為の残虐さに唖然とする。

なぜこれが彼らには性暴力であると認識できないのか。そんな行為を「ついて行った方が悪い」などと言うことができるのか。

 

おそらく筆者は意図的に再度「何が行われたか」という事実の提示を、あの位置に持ってきたのだろう。そして、その再提示によって、「残虐さ」が際立つとはどういうことだろうか?

私は小説の流れに沿って読むことで、無意識に二次加害をしようとしていたのではないか。どうしてあんなにお酒を飲んだんだろう。つばさなんかさっさと振ればいいのに。なぜ....なぜ.....と思ってしまっていたのかもしれない。

だから再度提示されて、驚いてしまう。

驚くのは、少し、加害者の「言い分」を聞いていたからではないのか。

 

私は頭がいいから。

 

 

裁判制度の見直し、レイプシールド法を作りましょうね、という議論をここで始めることもできる。が、作品の感想に留まるなら、読後感の悪さは自分が、実は二次加害に加担していたかもしれないというところからきている。というよりはむしろ「私は頭がいいから」

 

 

 

 

トウダイという化け物が死ねば、オールオッケーではない。

トウダイが映しだす私たちの社会の差別構造、暴力を容認する社会。化け物はそこらじゅうにいて、というかむしろ私たち自身であり、そしてその化け物に食われてしまいそうなのもまた私である。

 

 

「みんな悪いね~」って話がしたいんじゃない。

だってあいつらは「東大卒」として生きていける。海外に行くお金も文化資本もある。いくらでも「再スタート」できるのがほとんどではないか。(5人の中にも地域や経済格差はある)

美咲は、家から出れる?働ける?大学に行ける?

美咲の人生はめちゃくちゃになって戻らない。

許せない。ありえない。

 

 

そういう許せない信じられないことを無くすためには、東大悪い、じゃぜんっぜん物足りないって話。