Jの論理から出てくれよ、頼むから
多分、私は、そのへんの人よりは法律に詳しい。法律っていうか、法に詳しい。今、LawとLawsの違いを意識した時点で、ちょっと詳しいと思う。
多分、私は、そのへんの人よりは性被害に詳しい。これはそんなに自信がないけれど、でも年間で10コマ以上は性暴力に関するワークショップをやっている。
多分、私は、そのへんの人よりはジャニーズに詳しい。ファンだっていうのはもちろんだけど、たとえばジャニーズ事務所の創業年を即答できる。1962年。
私は、怒っている。
はっきり言って、最近はそんなに「ジャニオタ」としての自覚がない。アニメにハマったりしている。そんな私にもまだまだ体内にこんなエネルギーがあったんですね?っていうくらい怒っている。
いい加減にしろ、ジャニーズ事務所。
ふざけるな、ジャニーズ事務所。
まず、大前提として、性被害については被害者の声が最大限聞かれるべきだと思う。ようやく、声が聴かれるときが来たのだから。
さて、ジャニオタ.........だった、と過去形にするにはあまりにも人格にジャニタレとの思い出が沁み込みまくっている人間の視点から怒る。
タレントを社長にするな、タレントを表に出してコメントさせるな。
大前提として、現時点で被害を訴えている人以外が、性被害についてどうこうというのは我々オタクの知るところではないし、それは本人の判断に任せるところなので、現在の所属タレントの被害云々について言うつもりは全くない。
詳しい契約の形態は知らないけれど、ジャニーズ事務所は各タレントとマネジメントの契約を結んでいるに過ぎず、各タレントは個人事業主扱いのはずだ。
ジャニーズ事務所は、タレントをマネジメントするのが仕事であり、タレントは会社の「社員」ではなく、あくまでも自分が芸能活動をするための事務等を請け負ってもらっているに過ぎない。
本件は、ジャニーズ事務所という会社の元社長による性加害の問題であり、責任はジャニーズ事務所にある。
そして、そのジャニーズ事務所が適切な対処を取っていないために、ジャニーズ事務所所属タレントがCM契約に影響が出ているのであれば、タレントの価値をマネジメントするはずの会社が下げていることになる。請け負っている仕事を、十分にできていないのは、ジャニーズ事務所であって、そこと契約しているタレントではない。
まず、オタクとしてはそこに怒っている。
お前らが、ちゃんと仕事して責任を果たさないせいで、マネジメントを委託しているタレントの側の仕事に影響が出てるじゃねーか、ふざけんな。
モンペオタクなので、自担が可愛い。自担の仕事の遂行を妨げているのは、説明責任や体制の刷新を図らない事務所の方だ。
にもかかわらず、7日の会見に出てきたのは、「新体制」と称したヒガシとイノッチ、そして元社長のジュリーだった。
私は、少年隊のファンでもV6のファンでもないが、あえて「ヒガシ」と「イノッチ」と呼ばせて欲しい。だって、みんなそう思ったはず。
これで「舞台」は出来上がった。
さぁ、社訓を唱えよう。Show must go onだ。SMGO!
ヒガシとイノッチが、「役員」という立場を引き受けてしまった以上、彼らは経営に関する責任から逃れることはできない。だから、ヒガシとイノッチのことはここで一回置いておきたいが、おそらくヒガシが引き受けたのは「長男」だからだろう。
ジャニーズ事務所のファンクラブは「ジャニーズファミリークラブ」という若干キモイ名前で統一されているが、ジャニーズはまさに「家族」の比喩で示され、ジャニー喜多川が亡くなったときも所属タレントが大勢出席した葬儀は「家族葬」と呼ばれた。
この感覚は、ある程度ジャニオタをやってるとなんとなくわかる。あの組織は、契約とか業務委託とか、そういう論理ではなく、「家族」の論理で動いているし、その周辺の人も「義理と人情」で動いている(Cf.山下達郎)なんだろう。
この「Jの論理」からしたら、ここで社長を引き受けられるのはヒガシしかいない。
すごいわかる。感覚でわかる。オタク肌感覚。
そして「Jの論理」の下でヒガシが登場した以上、記者会見は「Jの論理」の中で進められる。「命をかけて」「夢を捨てた僕」というミュージカル用語で語られる意気込みは、ジャニオタ魂に突き刺さる.......泣きそう。頑張って、ヒガシ!!!こんなに「ジャニーズ」が揺らぎそうなときこそ、みんなで一丸となって頑張ろう!!ジャニーズファミリーの力だ!!!オタクも「ファミリークラブ」の一員として応援しよう!!!どんな時でもShow must go on!!!!
そして、そうやって「長男」のヒガシが登板した以上、次男以下の振る舞いは確定した。
私は、ニュース番組に出たり、ワイドショーのコメンテーターをしたりするタイプのいわゆる「インテリアイドル」とか、MCとかやるタイプの男が趣味だ。
そして、私の人生を根こそぎ変えた男である櫻井くんは、その日のうちにコメントをした。さらに、河合くんもまた、翌日のWSで涙を流しながらコメントした。
オタクの私、泣いた。苦しい。自担の涙、本当に苦しい。
彼らは言うのは、大体同じようなことだ。雑にまとめるな、と他のオタクから怒られそうだけど、結局は同じ。「エンターテインメントで返していく。」
また、業務委託契約を結んでいるに過ぎない個人事業主であるにもかかわらず、とても申し訳なさそうにしている。「このようなことはあってはならない」
これが「Jの論理」だ。
本来ならば「社員」ではないはずのタレントたちが、あたかも「社員」かのように責任の一端を感じさせるかのように話す。「より一層邁進」の決意を語る。
Jはエンタメ集団だから、邁進する方法はエンタメだ。
社歌はCan do Can go!
待って、待て。待って!!!!!!!!!!!!!(大声)
あなた方は、責任を負う側ではない。
そうではないにも関わらず、ピントのズレたコメントをすることに何の意味があるのかとすれば、「Jの論理」の舞台を作り上げることに加担するだけだ。
タレントが苦しければ、オタクも苦しい。タレントが泣けば、オタクも泣く。そして生まれる「一億総ざんげ」の無責任謝罪体制。誰が?何に?どうして?なんで経営陣以外のタレントがコメントしてんの??????????はぁ?
そりゃあさ............小学校高学年とか、中学生とか、子供の時からずっといるんだから「Jの論理」に染まることはわかる。私は、タレントのファンだから、どれだけ整理できない思いを抱えているだろうと思う。
だから、翔くんの言葉は、翔くんのものでしかないし、河合くんの言葉も河合くんの素直な言葉なのだろうよ。
でも、あなたがたは「アイドル」だから。それが生み出す「劇場的な効果」に無頓着にならないでくれ。
と、いうのも酷なくらい、彼らにとっては根幹にかかわる事態だろう。
おそらく、あの事務所の誰も、自らの発言が「Jの論理」に染まりまくってて、世間からズレていることにあんまり気づけていない。
だから!!!!!!!!!!
事務所は!!!!!!!!!!!!タレントを!!!!!!!!!前に出すな!!!!!!!!!!!!!
タレントに責任はないから前に出すな。
前に出したら、彼らが話せる言葉は「ジャニーズ語」しかないんだから、その効果を考えたら余計に出すな!!!!!!!!!!
いや、ジャニーズ事務所に、もうそういうこと考えられる人材はいないのだと思う。
だから私は怒っている。
報道に、テレビ局に。
有働さん、あなたが取材に行くべきは、櫻井翔じゃない。
NHKの元同僚だろうが。NHKのディレクター、NHKのスタッフ、関係者。
目撃者はいなかったか、いたらどんな場面で?いつ?そっちだろうが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
カメラが櫻井翔に向けられるとき、河合郁人に向けられるとき、テレビは「Jの論理」の舞台装置になる。
彼らの言葉が無数のファンに届き、無数のファンが心を動かされ、時に一部は二次加害を含む過激な行動に出る。
テレビ局各局が出すべきは、コピペのステートメントじゃない。
あなたがたが、どうやって「Jの論理」に加担してきたか、だ。義理と人情、家族一丸となって、精一杯エンターテインメントを届けます!!!の裏側を話せるのは、あなたがたテレビ局の側でしょう?
それが、コピペみたいなステートメントを出して、「一億総ざんげ」ですか?何が問題で、何に責任を感じ、これから何をするのかを語れや!!!!!!!!
「最悪の犯罪」と断罪して、みんなで反省して、みんなで謝ってる感を出して、それじゃあ結局は、そういう「舞台」を演じたに過ぎない。
「Jの論理」は、すごい力を持っている。
私が、これを少しだけ離れたところから見れたのは、元を辿れば櫻井くん、あなたのお陰だよ。
あなたが大学って楽しいよ、というから進学したいと思った。あなたがニュースを読むから、私は社会を知りたいと思った。あなたが法律家を演じるから、私は法律を学びたいと思った。
好きだよ。
そして、感謝している。
「ペンの指す方向」はあなたの座右の銘的なところがあって、慶応義塾の校訓だね。
義理と人情と愛が、私を「Jの論理」に縛りつける。
しかし、知識と理性は、人を自由にする。翔くん、ありがとう。私に、本とペンをくれて。
残りはもう、既に出尽くしている議論だ。
なぜ時効のあるうちに言い出せなかったのか?については、性被害の言い出しにくさは言うまでもない。特に、男性間の性被害は、「存在しないもの」として言い出しにくい。ジャニー氏の加害は、「ホモセクハラ疑惑」などとホモフォビックな言葉と共に語られてきた。
性被害は、常に女性が被害者だと考えられ、男性は不可視化されてきた。
さらに言えば、2017年まで日本の刑法は、性犯罪(強姦罪)の被害者は女性のみであると規定してきた。
この規定の合憲性が争われた裁判は、1953年のことだが、女性のみが被害者になることは「生理的に」当然のことであるとされたし、そもそも男性が被害者になることなど考えにくいと考えられていた。(最判1953(昭和28)年6月24日刑集7巻6号1366頁。)
男女の「生理的、肉体的等の事実的差異に基づき、且つ実際上強姦が男性により行われることを普通とする事態に鑑み、社会的、道徳的見地から被害者たる『婦女』を特に保護せんがため」のものであり、「一般社会的、道徳的観念上合理的なものであることに多言を要しない」。
1953年は、朝鮮戦争が休戦して、ジャニー喜多川が代々木のワシントンハイツに戻ってきた頃だ。被害は、この頃から存在しているとの証言がある。
(※ジャニーズ事務所は、ワシントンハイツの草野球チームから始まった。ジャニーズがJohnny'sなのは、野球の監督であるジャニー氏の名前を冠しているから。)
(※ワシントンハイツと切り離せないとすれば、ジャニー氏の性加害は、エンターテインメントの現場における性被害であることはもちろん、初期においては在日米軍と軍属による性加害という沖縄で繰り返されてきたテーマとも通底するのではないかと思う。)
男性の被害は、見えにくい。
他にも、私はそこそこ法律に詳しいので、性犯罪規定の変遷や、「法の支配」のなんたるかをイギリスに遡って説明してみたりしてもいいけど、まぁ、それはまたの機会にでも。
櫻井くんの演じた特上カバチ!の田村くんの台詞を引用して、法は人々の長い間の知恵の積み重ねできているものだから、それに従え、という議論を見かけた。
さて、長い間、法を作り上げてきた男性は、男性が性被害にあうことを、どう考えてきたでしょうか。
最高裁の判例は、男性によって書かれ、それを男性の憲法学者は支持してきた。
法は、人が作るもので、確かに正義と知恵が詰まっているけど、それゆえの弊害もまたたくさん含まれている。時に、それが、今の「正義」に反することもある。
「正義」というと、「ふりかざす」ように聞こえるかもしれないが、英語にするとJusticeだ。Justが入って、「公正さ」とか、そういうニュアンスもある。
ジャニーズ事務所の会見で「超法規的」に、と言ったのは、そういうことなのだと思うヨ。
だからこそ、同じ特上カバチを引用するなら、堀北真紀演じる住吉先生が、田村くんのミスをカバーするセクハラ回が適切だろう。セクハラは、第一にされた人のことを考えて問題に対処しろ、の回。
残念ながら、今年8月のLe Monde誌で櫻井くんは「一貫して、被害者に寄り添ったコメントを出していない」と言われている訳ですが。
まぁ、こういう議論にあんまり付き合っても仕方ないのだけど。なんとなく、櫻井ファンっぽく返してみたくなったもので。
この数日間、あまり仕事が手につかなかった。最近ではすっかりアニメオタクなので、全然大丈夫だと思っていたけど、なかなかそういう訳にはいかないみたい。
だったら文章にした方がいくらかマシだろう、と考えて文章にした。
人格がジャニオタで、今は少し距離取っていて、性被害と法律に人よりちょっと詳しい私なりに、何か書いてみた。多少はすっきりした。
とにかく、「Jの論理」から出てくれ、頼むから。
10000万歩譲って、タレントはもう.....そうやって育ったから仕方ないのだろう。
でも、会社は、会社なのでしっかりしてほしい。
ジャーナリズムも、頑張って欲しい。