watasi-no-namae

大学院生のメモ置き場。ふぇみ的な書き散らしなど。

気が付いたら街宣車の上に立っていた話。

 

今回はかなりエッセイ的な感じでお届け。

 

 

突然ですが、私は人生がぐるぐると回り出す瞬間がたまらなく好きです。

ある日、何の気なしにつけたテレビに映った姿を見て、「この人が運命の推しだ」と感じた瞬間、翌日からめくるめく勢いで人生は回り、今まで見たことないもの、行ったことないところ、知らないことへと世界が開けていくあの感じ。

あるいは、

ある日、図書館で手に取った一冊が、今までと全く違う世界の見方を教えてくれて、その瞬間から世界はまるで違って見えて、別の景色を生きることになるあの感じ。

あるいは、

ある日、誰かが教えてくれた言葉が、今までの曖昧な経験たちに形を与え、自分自身が別人になってしまったようなあの感じ。

 

コンテンツとの出会いの何が楽しいって、コンテンツとの出会いは、人との出会いを生み、人との出会いは、知らない世界へと私を連れ出してくれる。このワクワク感が人生のだいご味なんじゃないかと思うくらい。そして、そんな展開は突然思いがけない形でやってきて、ワクワクの赴くままにチャンスの手を取ると、知らないところにいる。楽しい。

 

 

そんな感じで、私は先週、気が付いたら街宣車選挙カー)の上でマイクを握っていました。

 

 

チラシ折りの女。

きっかけは、日ごろやっている性暴力予防の活動をしているメンバーに、明日のワークショップ終わった後に何か予定ある?と聞いたことです。その友人は、大学教員の知り合いのツテである候補者の選挙事務所にボランティアに行く、と。え~~面白そう!って思いました。それで付いて行っていいかと聞くと、もちろん!とのことで付いて行きました。

その事務所には、当該教員がいて、一度お会いしたことがあったので「お久しぶり~」なんて言いました。その人は、いろんな選挙のお手伝いをしているらしく、大きな声では言えないけど別の候補者も応援しているとのことでした。LINEを交換し、情報共有のグループに入れてもらいました。

へっへ~初めて選挙事務所なんて来ちゃった!ボランティア楽しい~公示日周辺でまた来よう~、そんな小さなワクワクでその日は終わりました。

 

数日後、その人が別の候補者の事務所でボランティアをしているというので、私もそっちにもボランティアに行ってみよう!と、ワクワクに導かれるがままに向かいました。思い返すと、今回の選挙戦が忘れられないものになる分かれ道はこの日でした。

 

向かったのは、福島みずほ後援会事務所でした。

 

その日の作業は、チラシ折り。演説の時に配布されているチラシが折られていたら、あれは一つ一つボランティアが折ってる可能性があります。ほんと、選挙は人の手で作られ、人の手が候補者の名前を書き、人の手が投票しているんだな...なんて感動してしまいました。選挙は民主主義のすべてでは決してないけれど、その重要な局面は、こうした無数の手に支えられているんだと肌で感じ、勉強になった~とウキウキでした。(ウキウキすぎてその日は四谷駅まで歩く途中で、PAULの高ぇパンを買いました。高ぇ~~~~~と思いながら気分がよかったので翌日の朝食用に買いました。)

 

その作業は、淡々としたものなので、手さえ動かしていればおしゃべりは自由です。なので、私はずっとおしゃべりしてました。研究テーマであるリプロのことはもちろん、オリンピックちゃんと総括しろとか、社会保障を個人単位にしろ、とかとにかくあらゆることをくっちゃべってました。あー楽しいね。

そのとき、事務所の方が、「今度、市民スポットと言って市民が応援メッセージを届ける企画をやるんですが、スピーチしませんか?」と聞かれました。正直、どんな感じか想像つかなかったし、フツーにちょっとハードル高いな....と思い、「ああ、まぁ、やれそうだったら」みたいな曖昧な返事でとりあえず連絡先だけ書きました。うーん、ここも運命の別れ道。

 

 

 

 

表現の自由ハイ。

1週間後。

公示日を迎え、選挙戦がスタート。ところが、ちょうどその週は抱えている仕事がありなかなかフラっとボランティアに行けない!歯がゆい!証紙貼りしたい!(公職選挙法には配布できるビラの枚数の規制があるので、配布するビラ一枚一枚に証紙と呼ばれる小さいシールを貼っていく作業が証紙貼り。これもまた手作業!本当に選挙は文字通りハンドメイドです....。そして選挙にコミットすればするほど公職選挙法の細かさが気になってしょうがない!!)(ちなみに、日本の公職選挙法は世界でも有数の選挙規制の細かさで、西洋ではもっと選挙規制が少ないです。表現の自由の大問題です。)

 

もくもくと仕事をしていたら、ケータイに電話が....出てみるとなんと、「市民スポット」のお誘い!

 

加藤シゲアキの『ピンクとグレー』を読んだ高校んときから、面白そうなことが回ってきたときは「やらないなんてない」と決めてる私、「やります!」とお返事。

ということで、人生で初めて新宿西口でマイクを持ちました。

 

「私の身体、私が決める」

 

世界でも、日本でも、これまで使い古されてきたスローガンを、今改めて自分の口で語る。今もなお、新鮮な響きを失わないこのスローガンを口にする。山ほど本を読んできたけれど、これまでの戦いの汗と涙が体中に流れ込んでくるような圧倒的なエネルギーをこのスローガンは持っていて、マイクを握りながらその歴史の一部に自分も加わったのだと理解しました。

そして、その言葉は力を持っていて。遠くからでも何人かが足を止めていたのが、忘れられないです。この時の非常にナイーブな気持ちはこの記事に。

 

watasi-no-namae.hatenablog.jp

あまりに短絡的でナイーブだと客観的には思うけど、でもこの日、私は身体をめぐる戦いの歴史の一部になり、かつ、政治的表現の自由の重要性と力を全身で理解しました。

 

 

ふぅ...面白かった~ということで、この話はおしまい!以上、お疲れ様でした!となるはずでした。しかも、ここでは新たな友人との出会いや古くからの友人との再会もあり、まさに新しい景色を見に行くことで新しい人と出会う、という人生のワクワクのだいご味みたいな展開だったので、もーう本当に大満足!お疲れ様でした~っていう感じ。

 

 

ところが、電話は翌週もかかってきました。前回がこの感動っぷりで、元来オタクなので一度経験した興奮は繰り返したくなる性質があるので、二つ返事でオッケーしました。(その時にしゃべったことはこの記事の一部になってます)

 

watasi-no-namae.hatenablog.jp

 

 

 

人生の伏線回収をする嵐担。

そして、また再び電話。

「今度は市民スポットじゃなくてご本人も来るんですが、どうですか?」

 

一度興奮を味わうと忘れられないオタク、ここでも二つ返事。人前で話すのは緊張するけど、「うわぁ~~~表現の自由行使してるぅ~~~~~~」っていうあの脳からなんかドバドバ出てる感じが本当にやばい。癖になる。おまけにこちとら、社会に対して言いたいことは山ほどある。

 

ところが、情報解禁されると今までとは違うフェーズに入ったことに気づく私。「ん?雨宮処凛とかと並んでんな?????」急に胃が痛い。

(私が中3で右とか左とかよくわかんないからここらで勉強しときますか~って初めて手に取ったのが雨宮処凛右翼と左翼はどう違う?』だったので、うわぁ~本人じゃん~~の思いが強いっす。)

吐きそうになりながら、新宿東南口。そして、スピーチ。

 

まさかあんなに拡散されることになるとは思いもよらなかったので、構図を過度に単純化していたり、あくまでもそうした先達の一人としてリスペクトするというニュアンスがちゃんと伝わったのか、などなど反省点は尽きず....。ただやはり5分で人に伝わる話をする、というのは難しいですね。

「私には夢がある」というのは、もちろんキング牧師からの引用で、日本国憲法97条にある人類の自由と権利獲得の歴史の中に、応援する候補者と自分自身を位置づけました。この点は、私が社会運動をするにあたって気にしていることなので、エッセンスが伝われ~~と思ってます。何より市民スポットをする中で、他のスピーカーがそうした運動の先達で、本で得た知識だけじゃなくて、先達の顔が見えたというのが大きかった。

 

オタクっぽいことをいうと、実は中3くらいまで「私には夢がある」は松潤が出ていた「スマイル」というドラマの松潤演じるビトくんのセリフだと思ってて、笑。彼は外国人差別の上に冤罪を掛けられて死刑寸前になるという、差別や死刑を問うドラマだったからキング牧師なんですよね。この言葉を聞くたびに思い出すのは、松潤の顔です。

さらに言うと、11歳の時に夫婦別姓のニュースを聞いて心動かされたのは間違いないんですが、なんで11歳でそんな熱心にニュースを見ているかといえば、櫻井翔ですね。

忘れもしないイチメン!というコーナーで取り上げてて。

今は、私自身は嵐ファンはほとんど休業状態ですし、政治的には彼に抱く思いは一筋縄ではいかないのですが、やっぱりアイデンティティ形成期に櫻井翔目当てで選挙特番を余すことなく見ていたので、選挙=櫻井、の脊髄反射が抜けず....こんな風に選挙に関わるようになったなんて、あの頃の自分に会いに行って報告したいな。(まぁちなみに私は「選挙行ったよ」というメッセージうちわをアリーナで持ってたことがあるオタクなのだ!)

まぁこんな人生の伏線回収みたいなこともしてましたとさ。

 

 

 

 

 

気づけば遠くに来たもんだ。

話が逸れました。

 

そして、またお呼びが。

 

ここまで来たらもう、当選してもらうまでとことんやるしかない!なんだか怖くなってきたけど(マジでいろんな人から連絡が来ました)、やるぞ!ということで、腹に力を入れて「行きます!」のお返事。3回分あったので、3回分それぞれ違う内容を話したので、原稿づくりが大変でした。(なんとなく毎回聞いてる人もいるし、私は今回は何かの「専門家」ではなく「若い女」という立ち位置だったので話題が豊富な方がいいだろう、という判断で毎回違う話をしました!!)

 

そして、やって来ました品川駅高輪口。いや~~~昔、付き合ってた人とデートに来たぜ!あと大学受験の時に近くで宿を取ったぜ!!思い出がいっぱい。(アンナミラーズ閉まっちゃいますね...。)

 

街宣車を置けなくてすみませんね」と言われるも、よくわからないまま、道路脇でスピーチ。(もう4回目とかなのでだいぶ慣れてきた。正直、脳みそ的にはもう少しなんか物質を出したいところだが、慣れであんまり出なくなってきた。)

 

次は、港南口。こっちは嵐ファン的には、プラチナデータでニノが走って逃げるシーンのロケ地だなぁ~とか思いつつ、その場に来ていた方とおしゃべりしながら移動。(この移動のときに、知らない人から「こないだまで大学でジェンダーとかやってたんですけど、動画みました!すごい感動しました!」という声掛けをされて、嬉しかった!言葉が届くとは嬉しいものですね。)

 

「こっちは街宣車あります!」と言われて手招きされ、「えっ、えっ、えっ」となる私。いやいや聞いてない、聞いてない。それ上るって聞いてないから~~~!!!(エコー)

 

聞いてなさ過ぎて、スカートにヒールのサンダルで来たぜ...マジで......と思っていたら、鍛え抜かれた事務所スタッフのみなさんがいい感じにスカートの中を隠しながら、はしごを上っている間をガードしてくれる親切仕様でした....。と、いうことで。

 

 

気が付いたら、街宣車の上。

 

 

さすがに脳内物質めっちゃ出た。フツーに興奮した。

人生にこんな場面、来ると思わないじゃん?もともとチラシ折ってたんだけども私??

 

オロオロしていましたが、Show must go on!小さいころからバレエやってるんで、ステージに立ったらやりきるしかないことは十分承知しているつもりです。新宿駅東南口に引き続き、気を引き締めて、脚は一番安定する仁王立ちで踏み込んで。話し始めれば、話したいことは山ほどある。

 

街宣車を見上げることはあっても、ここから景色を見るとは思わなかったので、目に焼き付けました。

ワクワクの予感に誘われるがまま、「やらないなんてない」と見切り発車のまま、気が付けば知らない景色と新たな出会い。いや~~~マジで楽しかった。胃が痛いところもあったけど、総合的には楽しかった。

 

 

なお、7月8日が最後の私の応援でした。

街宣車(2回目)に備えて、ジーパンにスニーカーで行きました!登りやすいね!!

最後のスピーチは、セクマイ差別について。自民党の差別なんてもう慣れたもんよ、と怒りを飼いならせているつもりになっていましたが、いざ話し出すと声が震え、怒りに足が震え、仁王立ちで踏ん張ってないと倒れてしまいそうでした。それで絞り出したので、個人的にあれが最後でよかったなーと思います。

そして、街宣車から降りて、ふくしまさんの演説を聞きます。なんだろう、もう泣けて泣けてしょうがなくて。マスクの中がびっちゃびっちゃになりました。全部終わった安心感もだし、その演説がとても良くて、もう拭っても拭ってもどうしようもできないくらい泣きました。

こうして、私の思いのほか長く熱く予想外な選挙ボランティアは幕を閉じました。

 

 

 

 

「政治は希望」

 

泣けて泣けてしょうがなかった。

一つ一つに「おかしい」と指摘する演説に、すべての子供が将来を描ける社会にしたいと訴える演説に。

まさかこの年齢になって、(純粋に選挙は民意の反映だ!なんて思ってた17歳のころなならいざ知らず)「政治は希望」なんて素面で思うと思ってませんでした。

私が小さいころ、10歳くらいのころ、漠然と怖かった。

私はクラスの誰よりも頭がよかったし、クラスで一番ピアノがうまいのも、料理がうまいのも、みんな女の子だった。でも、総理大臣も科学者も経営者もみんな男だったし、有名な音楽家はみんな男だったし、テレビに出ている有名な料理人もみんな男だった。だから、これから追い越されて女はみんなダメになっちゃうんだ、と感じていた。

だからこそ私は、過去の私に、そんなことないよと言ってあげたいと思いながら最近は生きている。私はたくさんの権利獲得の先に生きていて、そしてこれからの子たちに、どんな将来も思い描けると伝えたいから社会運動ができる。

 

私がいま、高等教育を継続できているのは、はっきり言って親の経済的階層に起因している。私なんかよりも、大学院に行くべき人間はもっとたくさんいたはずだ。

だからこそ今回のスピーチや応援活動は、私の持っている特権をうまく活用したいとの願いからで、その特権はより公平で公正な社会になるために使いたいと思って来ました。

すべての子供が将来を描けるために、教育費の無償化、ジェンダー平等、もろもろの差別撤廃、、、、これを目の前のこの人は歴戦の先にまだまだ戦い続けて、獲得しようとしているんだと思うと本当にこの人を応援してよかったと思いました。

 

 

今回、こんな風に選挙戦にコミットすることで、言葉の力を実感しました。

私の言葉に街頭で足を止めてくれた人、動画を見た人、リアクションをくれた人...こんな風に言葉って人に影響を及ぼすのだと。だからこそ、民主主義の根幹のために表現の自由は大切、という聞き飽きた説明は成り立つのだと思いました。

また、政治家が私の声を聴き、うなずき、応答する、というのは政治的自己肯定感が爆上がりでした。しかも、きちんと当選し、政党要件も確保!本当に嬉しかった。

インタビューでは、若い女性の支持に言及しており、私や街頭演説で出会ったたくさんの人たちの顔が浮かびました。本当に、政治とは開かれたコミュニケーションのなかで、人の手によってコツコツと作り上げられてゆくのだと目の当たりにできた貴重な機会でした。

TBSラジオ「荻上チキ・Session」:Apple Podcast内の参議院選挙2022【社民党・福島みずほ党首インタビュー】

 

一方で、私が「表現の自由」を行使できることは、本当に本当に特権的なことだとも感じました。平日の自由な時間、必要な知識を集められる環境、当然のように持っている国籍と選挙権。あるいは、ある一定の層には当然の主張を展開し、「不快さ」を作らない表現だったこと。(ネトウヨ的には不快でしょうが。)

この辺はもっともっと詰めて考える必要がありそうです。特に、無数の守られてこなかった、無碍にされてきた「表現の自由」を想う必要がある今、現在の状況では特に。

 

 

 

そんなこんなで、うだうだとお届けした私の参議院選2022選挙戦でした。

いや~~~アツい夏でした。(まだ終わってないけど。)

楽しそうな方、面白そうな方、ワクワクしそうな方には、やっぱり行ってみるもんです。