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大学院生のメモ置き場。ふぇみ的な書き散らしなど。

「不健全」?

 

最近あったこのニュースについて、メモを残しておきたいと思います。

 

www3.nhk.or.jp

 

コロナ禍における持続化給付金が、性風俗業者を排除し給付の対象としないことを「職業差別だ」として憲法14条平等に反すると訴えた裁判で、東京地方裁判所は「合憲」という判断を下したというニュースです。

異なる取り扱いをするのに合理的な理由があれば憲法違反とならないのですが、本判決は性風俗業が不健全であって国民の理解を得られないものであるから給付金から排除するのは合理的理由があるよ、というストレート差別論理で判決が出て衝撃を呼びました。

(判決文には「我が国の国民の大多数が、性行為や性交類似行為は極めて親密かつ特殊な関係性の中において非公然と行われるべきであるという性的道義観念を多かれ少なかれ共有していることを前提として、客から対価を得て一時の性的好奇心を満たし、又ば性的好奇心をそそるためのサービスを提供するという性風俗関連特殊営業が本来的に備える特徴自体がこうした大多数の国民が共有する性的道義観念に反するものであり」とかあります。)

判決文などなどはこちらから全部見れます。

 

今回の訴訟において、憲法学者の意見書も提出されており、木村草太先生なんかも意見書を出しています。

 

ポッドキャストの中で、本件を担当している弁護士の亀石さんは、多くの憲法学者がこれは差別だと言っていると言っていて、まぁ確かに憲法学の人はそういうだろうけども、、と思いました。

TBSラジオ「荻上チキ・Session」:Apple Podcast内の特集「2つの重要裁判判決からみる日本の課題~<生活保護・基準引き下げ裁判><風俗業へのコロナ給付金・裁判>」小久保哲郎×亀石倫子×荻上チキ×南部広美

というのも、いわゆるセックスワークに関する議論というのは、議論の蓄積が少ないと指摘できるように思うからです。(そもそも表現の自由か、職業選択の自由か、営業の自由かというように領域がものによって異なると思いますが。)

わいせつな表現などは表現の自由分野で長年論じられてきましたし、同性間の性行為の規制などもみんな道徳を法とするよくない過去の実践であって、現代においては法と道徳は区別されるというのは、おそらくほとんどの憲法学者の間で共有されていて、その論理を一貫させれば性産業の「不健全」だとか「不道徳」だとかは法的な議論で考慮される要因にはならないので、まぁ...それで区別したら差別だ、と論じる人は少なくないだろうなとは思います。一方で、性産業についてはあまり議論がなく、わざわざ論じたくないという向きもあったのかと。(中島徹古典的自由主義憲法哲学と風俗規制」阪本昌成先生古稀記念論文集『自由の法理』成文堂、2015年においても、憲法学者の黙認は風俗規制において顕著である、と。)

 

そもそもポッドキャスト内で亀石先生が言っているように、風俗営業(お風呂屋さんとかもろもろ)は「許可制」ですが、性風俗営業(いわゆるフーゾク)は「届け出」制であってその理由からしてかなり差別的。

専門用語的には「許可制」は原則禁止されているものを、ある場合にのみ「許可」するもので、「届け出制」は原則として許されているが好き勝手やるとちょっと混乱が起きそうなときに届け出てくれれば原則として誰でもできるよ~というもの。「届け出」の方が緩い。

性風俗営業はかなり厳しく規制されている印象があるなかで「届け出」制なのは、国会の議事録に立ち返ると、「許可」をしてしまうと国家がお墨付きを与えているような印象になってしまうので、そこはグレーな感じで「届け出」制となっている。ふつうにひどい。

(「風俗関連営業というのはいわゆる性を売り物にした営業でございまして、これは公に許可をして認知をするという性格のものではないというふうに考えておるわけでございます。」という答弁)

この法律の建付けや国会の議論を根拠に、今回の「不健全」だから給付しなくても合憲だ、が導かれているわけです。

そもそもいわゆる「自由恋愛」論によって売春防止法の例外を風営法が作っているというよりも、警察の立証の難しさがあり、結局、摘発するもしないも警察の胸先三寸といった具合になってしまっている。警察権力を法律によって適切に規律できておらず、それがいわゆる「いかがわしさ」に起因しているので、大問題だ。スーパー省略して書いてるので、図書館に行って読んでくれ....。

(岩切大地「売春法制と性風俗法制の交錯ー個室付浴場規制の法的性質をめぐって」陶久利彦『性風俗と法秩序』)

 

こうしたことを踏まえて、憲法の観点から論じるなら、モラリズム批判(法と道徳を同視してるんじゃ)が成り立ち、そして営業の自由を規制する合理的な理由があるのか、あるいは本件のように区別をする合理的理由があるのか?が問題となり、道徳を除いてないのではないか、合理的理由はないから違憲な差別という結論に至る。

(ちなみに、セックスワーク論に立場に近い論考として松井茂記「売春行為と憲法」『自由の法理』がおすすめです。カナダはその後の立法でかなり規制する方向に動いてしまったのだけど、ベットフォード判決で「セックスワーカーの安全性」と言う視点が打ち出されているのがいい。)

 

そんな中で、今回の判決は実は、冒頭で引用した中島の書いたものを思い出させたのです。

中島論文は、性風俗規制について論じた文章の小括として以下のように論じている。

 

性風俗規制は被害者なき犯罪であるにもかかわらず、規制を是認するのであれば、その根拠は「性行為非公然性の原則」に求められることになる。しかし、この原則は自己言及的にしか合理化できず、これを法的に「正当化」するのが、憲法よりも下位の規範である刑法175条や風営適正化法である。

「これは、法が性道徳に、性道徳が法に根拠を求める一種の循環論法であることを意味する。この循環の中で法執行機関のひとつである警察(公安委員会)が取り締まり権限を獲得し、それを世論が支えるという連鎖が、性道徳の生成メカニズムなのである。とするとこれは、権力が守るべきモラルを指示するパターナリズムではなく、皮肉なことに、ある種の自制的秩序ということになる。」

 

つまり、性風俗やわいせつ規制の分野は国家による道徳の押し付け・決めつけを憲法上正当化できるか?いや、できないだろう、という議論レベルで行われる印象があるなかで、中島論文は、むしろパターナリズムよりも自生的秩序であるのではないかと分析し、反モラリズムの(つまり国家が道徳を押し付けることに反対する)古稀を迎えた先生に対して、この場合はどう応答するのかと突き返している。

(今回の判決でも、「性行為非公然性の原則」という道徳が、風営法の中に性風俗営業のみを「届け出」としていることを支え、同時に風営法の建付けそのものがそういう道徳を支えている。)

 

今回の判決に話を戻すと、裁判所が「不健全」だとし、社会的な差別に加担したことが非難されています。その通りだと思います。

しかし、裁判所がモラルを振りかざし、差別に合理的理由がある、とだけした判決で、国民感情はその正当化のために後付けされたものなのか?いや、これは裁判所のトンデモ理論というよりも実は日本の性に関する法律に内在する根本的な問題が露出した瞬間なのでは...とも思いました。

 

少数者に対する差別なので、大多数の人の感情なんて知ったことないよ、というのは正当な批判だと思います。

ただ、同時に、今回のコロナ給付金以外にも膨大に存在する性産業関係の規制を思う時、そしてその手の法律は存在する社会とは無関係に存在しえないとき、改めてセックスワーカーを苦しめる「スティグマ」を法からなくし、そして社会からなくすのは、制度論と意識の問題の双方に取り組み、糸をほどいていかないとダメなんだなぁと感じました。

何より、今回のコロナ給付金問題だけでなく、直近の国会で成立したいわゆる「AV新法」では、20歳以上の人も含めて規制が拡大しました。また、困難女性支援法の成立により売春禁止法は一部改正されたが、その際に、売春防止法の抜本的な改正について議論はひらかれたものとはなりませんでした。

ということで、もう正面から議論せずにはいられないところに来ているのではないか...との思いを強くしたニュースでした。

 

もちろん高裁に訴えるようですし、実際に日本で暮らしている人の意識が「不健全」なものと風俗営業をみなしているのかを調査するかも...と言っていたので、まじで頑張って勝ってほしいです。

 

ちなみに、まとまっていておすすめなのは『性風俗と法秩序』という本です!